「品玉(しなだま)」は、弄玉・支那玉・志な玉・しな玉・品玉、とも呼ばれ、最初は曲芸の綾とりの芸をさしたものです。それが、江戸中期には手練技の手品「お椀と玉」を指すようになり、それが、江戸中期から後期にかけて、手品の名称として「品玉」と呼ばれるようになりました。
 伏せたお椀の間を、布製の小玉が隠元自在するところに、不思議な面白さがあります。目にもとまらぬ早さで行きかうお手玉の現象が、「綾とり」の演技を連想させたものと推測されます。いかにも昔の手品らしいひびきがあります。

 『さて、このたびは三つのお椀と三つのお手玉を使いましての手品でございます。鹿(か)の子のお手玉は扇面の風におくられまして変現自在、早い手玉や品玉の、品よくかよう綾(あや)だすき、かけて思いの鹿の子玉、あけてくやしき玉手箱、お囃子にのりまして、品玉の手品、まずはお椀のあらためからでございます…』
 前口上に続いて、お囃子にのって操る日本古来のお座敷手品「お椀と玉」は、欧米では「CUP AND BALL」と呼ばれ、その源は紀元前までさかのぼることができる。

 世界で最も古い奇術の一つといわれ、発祥の地には諸説がありますが東洋(中近東を含む)に起り世界中にひろがったものと考えられています。
 日本に伝えられている「お椀と玉」は、インドを源にして中国に伝えられそれが仏教の伝来と相前後して日本に渡ってきたといわれています。

  遠く貞観三年(861年)の「三代実録」に弄玉(しなだま)、康平元年(1058年)の「新猿楽記」(1058年)や「看聞御記」の嘉吉元年(1441年)の条に、弄玉の語が記されています。当初は、毬や撥、鎌などを宙へ投げてお手玉のようにする曲取り(綾とり)でした。

 それが、手品の品玉になったのは、いつ頃であるか、はっきりしませんが、「お椀と玉」を「品玉」と称されるようになったのは、江戸中期に、初めて伝授書に解説されています。明和元年(1764年)の「放下釜(ほうかせん)」。次いで、安政八年(1779年)の「天狗通」です。いづれも、平瀬輔世の著です。

 元来、「お椀と玉」は、大道で莚(むしろ)を敷き、その上で直に演じていました。それが、江戸中期にはお座敷芸と変わっていったのです。「放下釜」の中で「しな玉の術」として、その秘技を詳しく解説されています。

【参考】
しなだま【品玉】
1、猿楽、田楽などで演ずる曲芸。いくつもの玉や刀槍などを空中に投げて巧みに受け止めて見せるもの。転じて、広く手品や奇術の類をいう。
2、巧みに人目をごまかすこと。
品玉も種(たね)から (手品をするにも種がなければ、どんなじょうずな人でもできないの意)何事も材料がなければできないことのたとえ。
しなだま‐し【品玉師】 品玉の曲芸を演ずる者。手品師。曲芸師。品玉使い。
しなだま‐づかい(‥づかひ)【品玉使】 =しなだまし(品玉師)
品玉(しなだま)取(と)るにも種(たね)が=無(な)ければならぬ〔=無(の)うては取られぬ〕
手品をやってみせるにも種がなければできない。何事も材料がなければできないことのたとえ。「品玉も種から(俚言集覧)」「種の無い手品は使われぬ」とも。
*「品玉とるにも種がなければならず」〔俳・毛吹草‐二〕「弄品(しなだま)も種が無ふては取られぬ」〔譬喩尽‐七〕
(小学館の国語大辞典より)
 
 
 
     
 
小学館「国語大辞典」より

鳥羽絵三国志より、大道で演じる「品玉」

「放下釜」より、「しな玉の術」